煌き艶めき官能小説

最近官能小説にはまっています。ただのエロティシズムだけかと思っていたんですが蓋を開けてみてビックリ!輝かしく艶やかな表現が満載です!

日米顔文字の違い

見ているだけで愉快な気分になれるのが、顔文字です。パソコンなどのキーボードを使って記号だけで喜怒哀楽を表す事ができるアレです。ラインのスランプなども喜怒哀楽を一目で表せますが、それよりも制限がある中で作り出されていく顔文字にはものすごく感銘をうけます。いったい誰が発明したのでしょう。最初は丸括弧とドット程度のものから始まって、それにスラッシュの手が付いて、更に喜びや怒りを表し、そして恐怖に打ち震える様を表現したもの(がくがくぶるぶるとキャプションが付くやつ)は思わず拍手喝采を贈ります。こういう細かい表現が得意なのは、いかにも日本人的な感じです。日本は目で感情を表すため、喜びと怒りの差は目の部分を差し替えるだけです。欧米では口元で感情を表現するため、口をへの字にしたり、上向きカーブを描いたりで表現します。欧米ではあまり顔文字に対してこだわりがないようです。ベーシックなものが一通りあるだけで、発展していません。
面白いのが、この日米の顔文字、小説などにすると日本は縦書きなのに対して欧米のアルファベットは横書きです。でも、顔文字になると日本は横書きで欧米は縦書きです。携帯やスマホ、パソコンが横書きが主体なので日本の横書きは納得できるのですが、なぜ縦?と思ってしまいます。何か制限があったのでしょうか。初めて見た時は本当に笑ってしまいました。


ティッシュを探して

街頭でティッシュを配っているのをよく見かけます。中に広告が入ったティッシュです。お菓子や飲み物、日用品のサンプリングならちょっと軌道修正してでも貰いたいと思うのですが、ティッシュは持ち歩いているため、なかなかそこまでしません。道を歩いていて、新作のお菓子だとか、ジュースだとか、洗剤なんていうのもありますが、突然手渡されると思いがけずにプレゼントをもらった気分でウキウキします。ちょうど小腹が空いていた時などの新作お菓子は、それだけで好感度アップ。
でも、ある日たまたまティッシュを持ち歩いてない時がありました。いつもカバンに入れているのですが、ちょうど使い切ってしまったまま補充をしていなかったのです。その上、運の悪い事にクレープを食べていて、チョコレートソースをこぼしたのに気づかないまま歩いていました。さあ大変!これまたカバンに入れたはずのハンカチ類も入っていません。店で気づいたら、ペーパーナプキンを貰ってどうにかする所ですが、店を出てから随分歩いて気がついたのです。赤信号で停まると、対面の信号の所でティッシュ配りをしている方々を発見。よし!と青信号になるやすぐに配っている人へ突進しました。そして「ください!」とお願いすると、にっこり笑って「どうぞ」と手渡されたのはシャンプーセット・・・。新商品のキャンペーンでした。


妊婦さんマークの意味とは

電車に乗っていると、たまに妊婦マークを付けた女性に出会います。大きなお腹の人もいれば、妊娠初期のぺったんこのお腹の人もいます。電車に乗るといつも本に夢中になってしまって、降りる駅の直前しか顔を上げません。その為、目の前にお年寄りの人がいたり、妊婦マークを付けた人がいたり、気がつくのがとても遅く、そのたびに申し訳ない気持ちで電車を降ります。体調が悪い時は別として、なるべく席は代わろうと思っています。その日もやっぱり全然周りを気にせず本を読んでいると、隣のサラリーマン風の男性がスっと席を立ちました。普通に、降りるんだろうなと思っていると前に立っていた女性が「ありがとうございます」といって、座りました。しまった!妊婦さんだったのか・・・と悔やんでも後の祭りです。いったいどのくらい立っていたのでしょうか。申し訳ないなと思いました。そして、スマートに席を譲ったサラリーマンの人へ心の中で拍手をおくりました。
妊娠中である事を示す妊婦マーク。これは、妊婦さんが倒れたり事故やなにかに巻き込まれたとき、救急隊員や周りの人に分かるように発案されたマークです。べつにこれを付けているから「万人よ!席を代わりたまえ!」とアピールしている訳ではありません。にも関わらず、マーク自体が目障りだ、とか席を代わってほしいならシルバーシートへ行けよとか言う人の気持ちがわかりません。そもそも、そういった発言をしている人も、妊婦という存在がいて、初めてこの世に生まれる事ができたのに。その事をすっかり忘れてしまっている心理って謎ですね。


買い物に適した条件

お腹が減っている時に買い物をしてはならない。これは鉄則です。食品を買いに行くのに空腹の時ほどよくない条件はありません。荷物をたくさん持っている時の買い物よりも質が悪い。あれもこれもそれも、と気がつけば予算オーバーな金額に。帰ってから食事をし、食品をしまう作業をしつつ猛反省します。どれもこれも今必要なものではないし、野菜とかも大量に買い込んでしまったらイタませてしまいます。なにも手を付けずに廃棄とか悪夢のようです。お菓子とかなら、今月もうお菓子を買わないぞ!という気構えで乗り切れますが。
これと同じように、条件の悪い買い物の仕方があります。それはヒマな時の本屋物色。あれもこれもそれも読みたい!となって、文庫本を両手に抱えてレジへ。食品とは比べもにならないくらいの予算オーバーです。そして冷静になると、あれ?この本、こないだ図書館に置いてあったよなとか、これ前に図書館で借りたよなとか。よっぽど好みのタイトルだったのかなと思います。こういう時に買った本はなかなかアタリを引きません。ほどほどに面白くても、もう少しよく考えて買えば良かったなと反省です。友人は、もっと悪い条件があると言っていました。「それは酔っぱらって本屋へ行くこと」でした。文庫本なんかではなく、気が大きくなってハードカバーを抱えてレジへ行ってしまうそうです。おお、こわい!


チェシャネコもどきに出会う

美容と健康の為、なるべく歩くことにしています。近所を散歩したり、買い物にも車や自転車を使わないようにしたり。自転車などでは早々と通り過ぎてしまう景色ですが、ゆっくりと移動するため、いろいろな物が見えてきます。なにも考えずにぼーーっと歩いていると、ふと何かと目が合いました。あれ?誰かいてるのか?と周りを見渡しましたが、人っこ1人いません。その場で立ったまま、しばらくいったい誰と目が合ったのか、悩んでいました。2、3歩戻ってみたら、きっと木のウロか何かを目と間違えたのかなと考え戻ってみました。ばっちり目が合いました。高さ1mくらいの塀の上にいるネコと。不思議の国のアリスに出てくるチェシャネコのように、じいっとしています。塀の上なので、どちらかというとハンプティダンプティですが。もの怖じもせず、じいっとこっちを見ています。思わず、「あ、どうも。こんにちは」と挨拶をしてしまいました。若干下を向き気味に歩いたいた為、ばっちり合ってしまったようです。
その後もその道を通るたびにチェシャネコもどきはいるのかな?と探しますが、探している時に限って見つかりません。何も考えていない時ほど会います。そのたびにギョっとしますが、あちらはどこ吹く風。こういうのは、ゆっくりしているときの醍醐味です。自転車や車では出会えない光景でした。


女同士の友達ごっこ

女同士というのは時として非常に面倒くさいものです。仲のいい友人の間でも知らず知らずのうちに嫉妬をし、子供の頃から一緒に過ごしている間にズレが生じ、大人になってからも仲のいい関係が続いていると思いきや、昔と同じではいられない。
男性同士の友情と女性同士の友情は形がすごく違います。女性同士は割と長時間一緒にいるのに対し、男性同士はその場限りの友情のように思えます。もちろん、女性同士でもその場限りの友情を抱く相手もいれば、男性同士でも長時間、一緒にいる友情もあるでしょう。私の周りにはあまり地元に友人がいる男性はいません。社会人になって以降の交友関係がほとんどです。
女同士で子供の頃は仲が良くても、大人になると疎遠になる、という関係は結構あります。たとえば、成長する過程で恋人ができて、友達よりも恋人優先で疎遠になったり。同じグループに属していて月に1回会っているけれども昔のようにはいきません。二人の女性が子供の頃から親友同士でした。しかし、大人になってから片方が相手に嫉妬し、ガラガラと友情がくずれるという小説を読みました。ここだけ切り取ってみると古今東西いつの時代でもあるテーマです。よくあるテーマということは、それだけ支持されているからこそ廃れないわけです。でも女性のそういった複雑な心理はとても好きです。楽しい結末だろうが悲しい結末だろうが。女性として納得せずにはいられません。


星の王子様の空

友人に、どうしても眠たくなって最後迄読み通す事が出来ない本がある、というのでその本を借りました。サンテグジュペリの本で、『星の王子様』ではなく、もっと長い中編集です。飛行機で郵便を運ぶ仕事をしていた時のことを綴った本なのですが、航路が確立されておらず、照明もない状態で飛行機を飛ばすことの怖さがひしひしと伝わってくる話です。真っ暗な中、アンデス山脈を越える恐怖。いつ墜落するか分からない状態でみんな飛行しています。でも、乗ってる本人達はあまり怖がっていません。たとえ、墜落してもまた操縦席へ舞い戻ってくるのです。私には目が離せない本でしたが、友人は眠たくなるそうです。
最近、これほどまでに航路は確立され、どこもかしこも照明やライトで照らされ、ビルや山はどの程度の高さなのか、はっきり分かるのにかかわらず飛行機は墜落します。ここ何年かはしょっちゅう落ちているように思います。何が原因なのか、パイロットでも流体力学の教授でも無い私にはわかりませんが、不思議な現象です。どれほど科学が発達し、飛行機の性能が上がっても墜落する確率というのは変わらない物なのでしょうか。こんな状況をサンテグジュペリやライト兄弟はどう思って空の上から見ているのでしょう。もしかしたら、今の現状をやきもきしながら見ているのかもしれません。


布団で読書

眠くなるまで本を読もうと、布団の中で本を開きます。私はなかなか眠れなかったりします。続きが気になって。つい先日も土曜の晩に、横になりながら本を広げたのですが、困った事に目がすっかり覚めてしまいました。眠たくて眠たくてしかたが無かったので横になったのですが、ちょっと本を読み進めて行くとパッチリ目が覚めてしまいました。あと1時間だけ読んで切りがいいところに来たら寝ようと思うのですが、調子に乗ってしまって眠れない。焦ってもしかたないので、読み終わってから寝るかと開き直ります。次の日が平日なら無理にでも本を閉じて目をつぶるのですが、週末だとついつい油断してしまいました。同じような経験がないか友人に聞いてみたところ、やはり結構あるようです。
本を読む読まないではなく、部屋の掃除をしていたら時間が経っていた、という友人もいました。
夕飯後、部屋の片付けを始めたのですが、本棚に取りかかった時にいらない本を処分しようと思い立ったらしいのです。それで一々これはいる、いらない、と床に積んで行くうちに深夜を回ったそうです。やばい、寝なきゃと思ったらしいのですが、床は本だらけで眠るスペースが無くなっていたそうです。一角だけ本をよけて布団を敷こうにも、積んだ本が崩れないか心配で寝付けなかったそうです。結局朝までかけて整理したとか。何事も寝る前に大きな事に取組まない方が無難なようです。私なら、ついつい拾い読みして気づけば朝とかになりそうです。


アイデアを得るためには

クリエイティブな作業には脳みそを使います。例えば手紙。書き出しはどうしよう、何について書こうかなと迷います。けれどこれはまだ序の口の部類かもしれません。新商品の企画書を書くときはどうでしょうか。新しい商品の名前は。ウリは。ターゲットは。企画書の展開は。ぽんとアイデアが湧いてくることは稀でしょう。いくらパソコンに向かっても画面は真っ白のまま…なんてこともよくあることかもしれません。
企画書一枚ですらこれなのですから、一体小説家はどれだけの労力を使って一本の作品を書き上げるのでしょうか。小説家は本当にすごい職業だとつくづく感じます。以前、どこかで読んだのですが、とある大御所作家。この方は煮詰まった時必ずペンと紙とCDプレーヤーをもって近所を散歩するそうです。そして、2時間もすればだいたいアイデアを得ることができているのだとか。
私が面白いと感じたのは、「実際アイデアが沸いてくるのは最後の10分だ」という作家さんの記述です。それまではただ音楽を聴いたり歩いたりしているだけ。だったら散歩を10分にしても同じでは?と思いますが、ぼーっとしている時間があるからこそ最後の10分に閃きが舞い降りてくるのだとか。アイデアのひねり出した方は人それぞれですが、自分なりに「これだ!」という方法を一つは持っていたいですよね。


私が図書館に行く理由

本は図書館で借りるものと書店で買うものに分けています。図書館で借りる基準は、基本的に「自分にとって新しい著者やジャンル」。人から「面白いよ」と太鼓判を押されたものでも、まずは図書館で借りるようにしています。書店で買わない一番の理由は、やはり「失敗したくないから」でしょうか。いくら流行っていても、人が勧めてくれても、自分の好みに合うとは限りません。その点、図書館で借りればたとえ期待外れな結果となっても「まあ、いいか」と納得できるのです。
それに、たとえ目当ての本が「貸し出し中」であったとしても、予約待ちの間に同じ著者の別の作品を借りて読んでみることができます。どんなジャンルに特化し、どんな雰囲気をもっているのか。そこで「この著者、気に入った!」となればもうけもの。予約した本の順番がめぐってくるのが俄然楽しみに感じられるのです。
2つ目の理由に、「書店で買おうとすると歯止めが利かなくなる」というのもあります。書店に運ぶと、ついあれもこれもほしくなってしまう。けれどそれだとお金がいくらあっても足りません。ついでに、自宅の本棚にも空きがなくなってしまう。以前、洗面所にも、お風呂場にも、ベッドの上にも本が溢れかえってしまったことがありましたっけ。なんとかしなければ、と考えてこの方法にたどり着きました。皆さんは図書館をどんなふうに活用していますか?